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地元からの風


初秋の伊良原

投稿者:小正路淑泰さん(S55年卒)

   錦陵の大先達である思想家・堺利彦(1870〜1933)の号は枯川。祓川から採られたもので
す。ご存知のように、祓川は急流のため、古くからたびたび洪水を起こし、その一方で、渇水に
よる水不足もしばしば起こしています。そのため、福岡県では、洪水を調節し、水道羊水の開発
開発を行うとともに、既得取水の安定化及び河川環境の保全等のための流量の確保を目的とし
て伊良原ダムの建設を計画しました。実施計画調査が採択されたのは、40年前の昭和49年のこ
とでした。

平成29年竣工予定で建設が進む伊良原ダム。堤高81.3m、堤頂長295.0m、集水面積36.8平方km、総貯水容量2,870万?、水没総面積141ha、水没戸数86戸。



水没予定地を『伊良原村史』(伊良原村役場、昭和27年発行)の地図で確認すると、下伊良原の広瀬地区から伊良原中のグランドまでということになります。



初秋の伊良原を訪ねてみました。



下の左の写真は、伊良原への入口・広瀬地区の現在の姿です。右の写真は、ダム完成予想図。左写真の谷が堤高81.3mのコンクリートで堰止められます。
 


広瀬地区から祓川沿いを車で15分程行くと、かつての伊良原の中心地であった伊良原小学校付近に到着します。 小学校付近の民家やJAガソリンスタンドなどの全施設は、すでに代替地への移転を完了していました。





幸いなことに、今はもう廃校となった伊良原小学校の木造校舎だけはまだ取り壊されていませんでした。 福岡県内最古の木造校舎として有名で、映画「信さん 炭坑町のセレナーデ」のロケ地となった所です。



入口が施錠され、もう入れることのできなかった教室は、ピカピカに磨かれたままで、今でも子どもたちの歓声が聞こえるような気がしました。

下の写真は下伊良原地区の代替地の様子です。

左は、みやこ町役場伊良原支所などがある伊良原コミュニティセンター。JAやガソリンスタンド、診療所などが隣接してインフラが整備さ れています。

右は、遷座を終えた下伊良原の高木神社。この日は、住民総出の草刈が行われていました。新たな地域コミュニティの創出を実感することが できました。


しばらく祓川沿いを行くと上伊良原の神社に到着します。左は神社の鳥居。社殿は少し上流のふるさと会館に移築され、先日、棟上げが行われ ました。 伊良原中出身者によると、この神社の境内が中学生たちのデートスポットだったそうです。

左は神社前の祓川の見事な清流。ハヤが泳いでいるのが見えました。



そこから程なくして伊良原中学校へと至ります。グランドの手前には、来訪者を迎える水車がありました。水力発電用の水車で、水車小屋の内部 には、ほのかな電球が灯っていました。


そのすぐ隣が、伊良原中のシンボルである2本の大木です。

2本とも幼木の頃より大切に育てられたからでしょう、見事な枝ぶりで、とりわけ、手前のイチョウの木は、黄葉シーズンには、さぞ見応えがあるだとうと想像をたくましくしました。

ただし、下伊良原の広瀬地区からこの上伊良原にある伊良原中グランドまでが、ダムの水底に沈んでしまいますので、数年後には、もう見ることはできません。
錦陵会員の皆様、帰郷の際には、ぜひ一度、伊良原を訪ねられてはいかがでしょうか。

末尾ながら、取材の協力をいただいた32期小田(旧姓原田)真由美さん、田中(旧姓遠藤)寿枝さんに感謝申し上げます。
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